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平石峠越
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今回も峠越をする。お天気に恵まれ爽やかな1日が楽しめた。
今回のコース(行程約12km)
近鉄南大阪線磐城駅→竹内街道→平石峠→高貴寺→磐船神社→平石城跡→
二子塚古墳→小野妹子墓→科長神社
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道標
古い民家の残る、風情溢れる竹内街道から、平石峠に向かう道の分岐点に立つ道標。
文政13年(1830)の銘。
「左 かう貴寺 もりや」と刻まれている。
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細い登りの山道をしばらく歩くと、右手が開け、山の斜面に三塚古墳群が見えてくる。
すぐ横では高速道路の工事をしており、古代と現代がミックスされた面白い
光景だ。
ここから高貴寺へ下る山道の両側に野イチゴが自生している。
少し赤黒くなった位が甘くて美味しい。
5〜6粒ぐらいを口にほおばると甘酸っぱくて、子供のころの記憶がよみがえった。
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高貴寺の石標
平石峠から谷川沿いの急坂を足元に気をつけながら下る。
山中を抜け平地に出てホッとしたところに高貴寺「かうきじ」の石標が立つ。
上部は欠損している。
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高貴寺
金剛山地の岩橋山の山麓に位置する。
高野山真言宗。本尊は金堂に安置されている五大明王像。金堂の向かって左に講堂、右に開山堂が立つ。
役小角の開山になり文武天皇の勅願によるという。
安永5年(1776)慈雲尊者が入寺した。
慈雲は顕密はもとより、禅・浄土・さらには神道・儒教にも通じ、とりわけ梵学研究を集大成した偉大な学僧であった。
また大和郡山第三代目藩主・柳沢保光は、仏教に深く帰依し、尊者をたびたび城中に招き、法を聞き弟子の礼をとったという。
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十三重石塔と宝篋印塔
十三重石塔は建久元年(1190)後鳥羽天皇が熊野行幸の途中当寺に参詣され、建立されたもの。
宝篋印塔は鳥羽僧正範俊の供養塔。
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奥の院にある慈雲尊者霊廟
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奥の院にある柳沢保光公埋髪碑
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磐船神社
高貴寺の西方約400mのところにある。
慈雲尊者が葛城雲伝神道を創唱するさい、ここを根本道場に当てたとする「樛の宮」である。
山全体が御神体であるとされ、境内には豊富な伝説をもつ天磐船・浪石・灯明石など奇岩が多い。
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平石城跡
磐船神社から急坂を下り太子町に出てくる。
その正面の丘陵上にある。大阪府史跡。
南北朝の内乱に平岩重直が南朝方として足利方と戦い落城した。
丘から下る時、落ち葉の笹の葉で滑りそうで怖かった。
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推古天皇陵
緩やかな下り坂を歩いていくと太子町の町である。
左手に二子塚古墳と推古天皇陵が見える。
また左手の遠くにPLの塔が見えた時は「本当に峠を越えて大阪まで歩いたんだなあ。」と実感が湧いいてきた。
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小野妹子墓
道を右に取ると、遣隋使で有名な「小野妹子」の墓に来る。
すぐ隣には、風の神の科長神社がある。
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今日のコースは岩屋越ほど急坂はなかったものの、歩いた距離は長かった。
翌日左膝が痛んで心配したが、2日ほどで痛みが引きほっとした。
運動不足を痛感した次第です。
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